毒づきます
テレビで盛んに高畑勲の最新作「かぐや姫の物語」を宣伝しています。
高畑勲作品と言えば(監督、脚本に絞って)
となりのトトロと同時に併映した
1988年 火垂るの墓
1991年 おもひでぽろぽろ
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ
1999年 となりの山田君
そして
2013年 かぐや姫の物語
宮崎 駿作品は(監督、脚本)
テレビではルパン、未来少年コナン。
1979年 ルパン三世 カリオストロの城
1984年 風の谷のナウシカ
1986年 天空の城 ラピュタ
1988年 となりのトトロ
1989年 魔女の宅急便
1992年 紅の豚
1997年 もののけ姫
2001年 千と千尋の神隠し
2004年 ハウルの動く城
2008年 崖の上のポニョ
2013年 風立ちぬ
ジブリ作品としてはたくさん有りますが、宮崎駿が脚本、監督した物だけを並べました。
日テレは、全部ひっくるめてジブリと宣伝します。
子供向けに無理やりくるんでジブリ作品としてあおります。
高畑作品。
全く面白く有りません。お金を払って見たいとも思いません。
それはなぜか?
考えました。
高畑作品は何をしようとしているのか?
宮崎作品と比較すると分かりやすい。
宮崎作品は、毒が有る。
未来少年コナンは、文明によって自滅した人類とその文明を再びよみがえらせようとしている科学者、それを我が物にして独裁者になろうとしている人。
それらをメリハリをつけ分かりやすく、その重いテーマを少年と少女の純粋さを利用して上手くエンターテイメントに仕上げました。
ルパン三世 カリオストロの城も善と悪。
それを笑いと、冒険活劇と、ロマンスで覆って演出。
風の谷のナウシカは、文明が地球を汚したという今にもつながる毒のこもった風刺をアニメという優しさで覆い尽くしています。
天空の城 ラピュタもそう。
魔女の宅急便は、少女の成長をダイナミックな出来事でおもしろおかしく描く事で見る物を引き込んでいく。
共通していたのは、透き通るような少女を前面に出して、作品に清々しさを出している事。
そしてその少女の精神的な成長を描いている事。
まるで大林宣彦作品のよう。
となりのトトロは例外。
その後、宮崎作品は大衆に媚びだした。
もののけ姫、千と千尋の神隠し、ハウルの動く城、崖の上のポニョ。
すばらしい作品ですが、ジブリの経営と日テレの意向なのか小さい子供にも受ける部分を組み込んでいる。
グッズの販売も考えたキャラクター設定。
それら「となりのトトロ」的な物を作品に組み込み映画自身が間延びしている。
だんだんと毒が無くなってきている。
武田鉄矢の「母に捧げるバラード」
母を思う息子のすばらしい歌と思っていましたが、
後で武田さん自身が言っていましたが、あの歌は世間に対して皮肉をこめて作った歌だと言っています。
萩本欽一。
全然面白くなくなった。
ビートたけしが語っていました。
欽ちゃんは大衆に媚びる様になった。
人の目を気にして毒を吐かなくなった。大御所になって丸く収まり迎合した。
内村光良。
この人は小馬鹿にする事でその人、出来事の個性をあぶり出し、それをデフォルメしておもしろおかしく演出する。
有る意味、毒の使い方が上手い人。
タレントのヒロミ。
大御所に平気でため口、毒吐きまくり。
有吉。
今はこの人が毒を吐いている名司会者。
マツコ。
自分の立ち位置をしっかり把握し、気を使いながら毒を吐く。
そう考えると、作品としてお金を払ってでもみたいと思うには?
毒。
ハラハラドキドキのエンターテーメント。
善と悪。
畳み掛けるような時間の経過(時間をわすれる)。
非日常。
オーバーアクション。
最近、宮崎作品がつまらなくなったのは、小さい子供の事を考え過ぎて完全な悪と善をぼかし始めたから。盛り込みすぎてシンプルで無くなったから。
高畑作品はどうでしょう?
火垂るの墓は訴えたい後世に残したい思いが有ったのでしょう。
ほかの作品は?
日常をアニメで表現したかっただけの実験作にしか思えません。
今度、上映するかぐや姫の物語。
アニメは、背景は作り込むが、人物はあまり描き込まない。だから人物描写にこだわった。
と書かれています。
何か勘違いしていませんか?
アニメの手法を研究する前に、面白い作品にしてください。
高畑作品。結果を残していません。でも大御所。
高畑作品。別にアニメにしなくても良いのでは?全く毒を感じません。
そして一番大切な、のめりこむような「エンターテーメント」見つかりません。
何かをしながら鑑賞し、もう見なくていいやと思う作品ばかり。
何も考えずジブリというだけでDVDを集めている人、子供に見せる人。
でもこれも含め全部、みんなが大好きな子供の為と言われているジブリ作品。